金閣寺
日本の世界遺産に登録されている金閣寺。まばゆい金、衣笠山をバックに悠然と輝く金閣は、室町時代の最盛期を築いた足利義満が、出家後に建てた山荘の今の姿だ。
世界が日本を「黄金の国ジパング」と叫び、日本の金を羨望していた時代。仏教観では、西方浄土=金のイメージで、人々は金を手にいれ、身につけ、浄土にいけるよう願った。対明貿易で巨万の富を得、中国に「日本国王」と呼ばせた義満は、自身の象徴として、黄金の館を建てたのだった。
時は経て1950(昭和25)年。金閣寺は放火により全焼してしまう。けれど5年後、10cm角の金箔10万枚、計2キロの金を使って再建され、7年後、金箔20万枚、計20キロの金で補修された。総工費7億円。へいせい15年、屋根の補修を終え、さらに一部の金箔が張り替えられ、古色とは無縁の凛とした姿が整った。
建物の内部は三層に分かれている。初層は公家風の寝殿造り「法水院」、一層は「潮音洞」という名の鎌倉時代の書院造風、三層は禅宗様仏堂風の造りの「究竟頂」。異なる三つの様式を組み合わせた建築は、当時としても斬新だったという。
昭和の再建で蘇った金閣は、創建時の姿に近いといわれる。舎利殿(金閣)の三層「究竟頂」の内部は総金箔張り、床は漆黒の漆塗り。二層の内部や、上層階の縁の床は黒漆塗りで、屋根の軒下も金。あまたのものが金に反射し、黒漆に写りこむ。鏡湖池にさえ金閣は写り、太陽が池に反射して外壁や軒を照らし、金閣は一層輝きを増す。屋根には金の鳳凰。建物だけでなく庭園も華やか。数々の小島や奇岩を配した鏡湖池や衣笠山を借景とする庭園は、極楽浄土をイメージした浄土成庭園なのだ。
「本当にゴージャスな人だよなあ」義満のゴージャスぶりは、それだけではない。中国から膨大な量の絵画を賀いつけ、1408(応永15)年に後小松天皇を迎えて閣いた宴は、なんと21日間に及んだ。舟遊びに蹴鞠、そして連歌に猿楽能……。こうして華やかな北山文化を開花させた義満の功績も忘れてはならない。
参考になるサイト
金閣寺【世界遺産 日本】
金閣寺【京都ガイド】
金閣寺【世界遺産】
金閣寺(きんかくじ)
1397(応永4)年、室町幕府、第3代将軍、足利義満の住居、北山殿として造営される。創建時、義満は将軍職を離れていたが、実験は握り続け、舎利殿(金閣)は、政治や外交の舞台となった。舎利殿の周囲には2階建ての天鏡閣と呼ばれる会所や寝殿など多くの建造物があったが、義満の死後、多くが解体され、洛中の寺々に移築された。応仁の乱の際、移築された建物のすべては焼失したが、金閣だけが残った。義満の死後、夢窓国師を開山とし臨済宗祖国寺派の北山鹿苑寺となる。
2008年12月 8日|
カテゴリー:古都京都の文化財

