二条城

二条城

日本の世界遺産に登録されている二条城は雅な平安の王朝文化が息づく京都に、忽然と現れた江戸・徳川将軍の城。完成は、江戸幕府誕生の1603(慶長8)年。そして、1867(慶応3)年、江戸幕府が崩壊を告げる大政奉還発表の場となったことを最後に、大役を終えた。その264年間、二条城は京都に対する江戸幕府の一大PR会場のごとく、都に君臨したのだ。
征夷大将軍となることを望んだ徳川家康が二条城築城を命じてから、二の丸御殿の完成までは2年間。建築面積3300㎡、部屋敷33、畳800畳分の巨大な御殿が、あっという間に造られたわけだ。

日本の世界遺産の二条城1626(寛永3)年、後水尾天皇の二条城行幸が決まると、今度は障壁画の製作に着手。なんとその数3000面。
幕府お抱えの絵師だった狩野探幽をディレクターに、狩野派の絵師が一丸となった特大プロジェクトだった。二条城建設は、対京都、対天皇への家康のコンプレックス解消事業だったのかもしれない。

絢爛豪華な唐門を入ると、まず車寄。欄間彫刻さえ、表裏で模様が異なる凝りよう。遠侍は控えの間でありながら4室もあり、二の丸御殿で最大の広さを誇る。遠侍北側の勅使の間は、将軍が朝廷からの使者を迎えた控えの間だ。続く式台の問で、大名が老中職とあいさつ。将軍への献上品もここで渡された。いよいよ大広問。部屋数は4つ。それぞれ40畳以上あり、四の間の障壁画は狩野探幽作とされる。蘇鉄の問という名の廊下を経ると、将軍と大名の会議室ともいえる黒書院。さらに長い廊下を経て、将軍のプライベートルーム白書院へ。

見事な書院造の城でありながら、1634(寛永1111)年から229年間、将軍はコ茨も入城していない。もったいない話である。

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二条城

<にじょうじょう>
徳川家康の命で、1603(慶長8)年、京都御所の守護と将軍の上洛時の居館として築城。1626(寛永3)年、後水尾天皇行幸のため、徳川家光が本丸、天守閣を完成させ現在の規模に。天皇行幸は5日間、数千人が訪れたという。1634(寛永11)年、家光が30万の大軍を率いて入城して以来229年間は数十人の留守番が世話に。その間、落雷や火災で天守閣や本丸が焼失。1884(明治17)年、二条離宮となり、9年後、京都御所桂宮御殿を本丸に移築。1939年(昭和14)年、宮内省より京都市に下賜された。広さ27万5000㎡。

2008年12月12日|

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