龍安寺
方丈の枯山水庭園の、15個の石。7つ、5つ、3つとかたまって置かれているためつt五三の庭」、虎の親が子と川を渡るように見えるため「虎の子渡しの庭」などと呼ばれる。「この庭は一体何なのだ」と考えたものの、結局こたえが見つからなかった人々が与えた呼び名だ。それほど、この庭は人々を惑わしてきた。
そんな石庭を最初に評価したのは、エリザベス女王や哲学者サルトルなどの外国人。石庭の名はまたたく問に知れ渡り、今では世界でもっとも有名な日本庭園だ。
「外国人にとって石庭は、一種の抽象芸術のように映ったんだろうね。そして外国人が褒めるのを見て、日本人もはじめてこの庭の良さに気づいたんだ。ディスカバー・ジャパンは龍安寺から始まったのかもしれないよ」と、そこで足元に目を向けると、丈の広縁の縁がすっかり磨り減って丸みを帯びている。
「見てごらん。この丸みが、みんながここに座っていろいろ考えた歴史を物語っているよね」
龍安寺は、方丈の広縁に腰をおろして黙考する時間を勘定に入れて訪れたい。
龍安寺を訪れる人は、たいていは石庭を見にやってくる。けれども、そんな人々を驚かすのが、山門の先に広がる、鏡容池を中心にした広大な回遊庭園。四季折々の花が自慢のこの庭園は、近代までは、石庭よりも有名で、多くの人を集めた。桜にはうるさい豊臣秀吉も境内で盛大な花見の宴を開き、「鳥獣を殺すな。木々を切るな」との高札を立てたほどお気に入りだったという。
佗び寂びの精神に基づく禅寺の簡素な庭と、四季の花々に彩られた華やかな庭。二つの異なる庭園を持つところが、龍安寺の大きな魅力でもある。
「石庭だけ見て帰るなんて、そんなにもったいないことはできないよね」と、山下先生は石庭の見学を終えると、境内を散策。お寺が抱える専属の植木職人が丹精込めて手入れをしているだけあって、回遊庭園の美しさは格別。謎の石庭を眺めて凝った頭も、心なしかほぐれていくようだ。
参考になるサイト
龍安寺
龍安寺<りょうあんじ>
臨済宗妙心寺派。 1450 (宝徳2)年、平安時代の貴族徳大寺家の山荘を、室町幕府の管領だった細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天を開山に招き創建。応仁の乱で全焼し、勝元の実子改元が復興に着手。その後、細川家の菩提寺として、豊臣秀吉や徳川家などから庇護を受けた。有名な石庭は、499(明応8)年に方丈が建立された際の造営といわれるが、詳細は不明。1797(寛改9)年、方丈などを焼失し、のちに塔頭の西源院から方丈を移築。
2008年12月 8日|
カテゴリー:古都京都の文化財

